アリンコの疾走
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夕焼けの中 焼けたアスファルト タイヤで踏んづけながら
車で国道から逸れて旧国鉄の遊休地のある細々とした住宅街に
入ってみた
JRの駅を左目に見ながら走って行くと 沢山の人並と 駅に向か
うその人並みを削るように細い道を 国道へ出ようとする 何台もの車
とすれ違った
乾いた喉を潤すためコンビニに寄る 微糖の缶コーヒーを買った
駐車している車にもたれて缶コーヒーの栓を外し 一気に飲み干
た
今日の朝食の時 母親が呟いた「あんたもとうとう 30を過ぎてし
もたなあ」
「だからゆうたやろう 25を超えた時 30なんかすぐやって」
当時 お袋の我が子に 対する感心の無さに呆れていた
只 お袋を恨んだり 蔑んだり といったネガティブな感情はなかった
母親には母親の人生があり 悩みもあり 苦しみもあった
それが子育てに影響してしまうのは 致し方ないのではないか
そこで親としての単なる責任論に発展してしまう もちろん責任が無
いとは言わない
よほどのことでないと 親に責任云々といったもの 逆に親子関係と
いったものを無意味なものとしてしまうのではと 考えたことがあった
だが文字道理これが このまま旨くやれれば何にも心配はいらない
出来過ぎである 本当にお前は何のこだわりもなくこれをやり通せ
たのか?もっともな弁である
そこでまた同じことの繰り返しである 種々雑多な議論の繰り返しであ
る
それとも違った種の話が出てくるのだろうか わからない 只 親への
要らぬ期待だけでも減っていれば万歳といったところか 要る要らぬでもも
めそうではあるが この話の類はこれからいくらでも出てくる
コンビニの駐車場で一缶のコーヒで思考する程のことでもなかろう
旧国鉄の遊休地がコンビニのすぐ裏手にある
青いフェンスに囲まれた千四五百人の住む仮設住宅がある
多くの人々が住む故に千四五百の物語があったはずである そのフェ
ンスの外側を通勤・・・通学・・・買い物客・・・が何も存在していないかのように
通り過ぎてゆく 冷たい視線を投げかけるわけでは決してない 行き過ぎていく
人々に暖かさが無い訳でもないだろう 只 存在していないかのようにフェンス
だけが何かを知っているようであった
「にいちゃん 何しとん こんなとこで」 中学生である キョトンとした目で不
思議そうにわたしに問いかける
彼に問いかける
「学校は?」
「終わった」
「家には帰らへんの?」
「ここやもん」
ふうっとちいさな風が舞った
風がわたしの髪をなぜた
フェンスの中とわたしの間に接点ができた
うつむき加減だった自らの顔を 若干上げてみる 初めて仮設の建物の一群を
真正面からみた
今までとは違った景色がそこには広がっていた 白黒写真からカラー写真に眼球
にはめ込まれていたフィルムが入れ替わったような印象だった
接点が出来たと言ってもだからといって気楽に足を踏み入れられるものではなか
った
「そうかここか」
「そやで」
「帰るわな ほなな」
「ああ」
バックミラーに写る彼の後ろ姿に背負う物があるのか無いのか・・・考えすぎか・・・・
「基 桂子からね 毎年恒例の年末の贈答品が届いてるで!」
「あそう」
「あんたの方からお礼の電話いれといてな」
「お袋 不精も過ぎるで オネイの声くらいたまには聞いてやれつうの」
「お願い!」 母親は拝みポーズである いつもこういう時だけわたしは仏さまになる
何が嫌なのかさっぱりわからない
姉は東京の商社に務めて一人暮らしである 父親は五十の時に肝臓がんでこの世
を去った 父親の影を慕うのか姉は年末には必ず帰ってくる 出来過ぎた姉である 小
学校の時から文武両道 先生はびっくりして感心しきりだった わたしは真逆である 体育
はそれなりに出来たが残りの科目 テストは目も当てられない
義務教育は否定しない 最低限の知識 柔軟性のある思考回路は 必要であると考え
る 脳みその柔らかい内に作り上げておきたい それもわかる だが人によって伸びる時
期に違いがあるのも事実である 一定のある時期に大人の理解の範囲内によーいドンで
勉学に集中させるのは 如何なものかと思う 色んな入口出口が種々雑多に存在している
のも必要なのではないかとも考える 可能性に枠組みはいらない
勉学はツボにハマると面白い それは間違いないのだから子どもたちの頭を無理に
ハンマーでかち割って脳味噌をかき回すのは止めてもらいたい
姉は特別な人なのかも知れない 幼い時からいじめられた記憶もないし 強制的に勉
強を強要された記憶もない本当に不思議な人である 只 一緒に遊んだ記憶がない 姉は
一人が本当に好きだった わたしも物心ついた頃から それが姉の自然な姿なのだと思っ
ていた 家族もそういった姉の特性を咎めたり なじったりすることがなかった それが結果
論だが良かったのだと思う 人は本当に摩訶不思議な生き物だと正直思う 本当に
冬 深まり今年もあと 十日あまりである あれから仮設に隣接するコンビニへは何回か
行った フェンスの中へは 未だ足を踏み入れたことがない 足がやはり重くなる
仮設に入るきっかけになったのは ある少年・・小学三年生との出逢いが大きかっ
た ある時 この少年とコンビニで出くわした
「君 フェンスの中からでてったけど ここにおるんか?」 と言葉を放った瞬間
「近寄るな!」
と撃ちつけるような言葉が帰ってきた 正直 胸をえぐられた 痛みを伴った
反省した 理由も 何をかも 解らぬまま ただただ必死に反省した
言葉が足らなかった 初対面なのに馴れ馴れしかった 相手は子どもだと思って甘
く見てた 当てはまるのか はたまたこちらの検討違いなのか解らないが 猛省した
帰りの車の中で 運転しながら涙が止まらなかった この自分とは一体何様か
「基!」
「桂子から 三十日に帰ってくるって電話あったわ」
「お袋!それで何日までおるっ て?オネイ」
「正月二日くらいには東京に帰るんと違うんかなー」
「休む暇 あんまりあらへんなー いろいろ聞きたいことあんねんけどなー」
「基、一人にさしといたり 仕事の疲れもとりたいやろし 解ったかー」
「しゃーないな わかったわ」
あの小学生のことが頭から離れない あの一言で傷ついていた 「弱いな」自らの脆さ
にも呆れていた
震災がおきて地元に仮設住宅が出来たと聞いて あまり気になっていなかった 行
くんだろうなと自然に思っていた 使命感や義務感 興味本位はもちろんそんなもんは
さらさら無かった ボランティア登録したり つてを頼ったりとゆうことも考えてはいな
かった「行こ」という気持ちだけだった それだけにあの子の一言は自分を試されて
いるようで胸に答えた
「行こ」
ダウンジャケットはおり車に乗り込んだ 六時過ぎだが外は真っ暗である国道を車でニ
十分 夕飯時だ誰もいないだろう と思ったらいるいる コンビニに仮設に住んでいると
思われる子らが六、七人はいた 車を降りて最初に出逢った中学生の子がいた 声を
かけると 「何を緊張しとんねん にいちゃん」 肩を揉まれた
「緊張?」 虚勢を張った 見事に見破られた 「アホなことぬかすな」輪にかけて
虚勢である
「いつもみんなでここでたむろしとんか?」
「いいや」
「公園が多いいな」
「な!みんな」
「仮設の敷地の中に 小さい公園があるんよ」
「だいたい そこに居るな」
「そうか」すねたり ひねくれたりしてる子はそこにはいなかった
「何しに来たん?」
「ええねん ええねん またくるわ ほいたらな 早くこんだけ暗いんやさかい帰りや」
と言いかけてやめた 仮設が居心地よかったら ここでたむろしているわけはない
「ええねん ええねん またくるわ ほいたらな」
助手席の窓からみえる仮設の一群は静かだった 聞こえてくる音らしきものはない
唯一仮設の敷地をなぞるように走るJRの電車の音ぐらいだ 脇を歩く人々は寡黙で
静かだ 国道へと抜けた このまま今日は家に帰ろうと思った
「ただいまー」
「おかえり 随分 と早いねどこへ行っとったん」
「別に 車に乗ってちょこっとそこら辺を走ってただけや」
「あ そう」
考え事をしていた あの群れの中に「近寄るな」と言葉を投げつけてきた子がいなかった
何故か情が移っていて心配になってきた
次の土曜日午後三時頃コンビニに行ってみた 誰もいない 公園の話を思い出し
仮設の敷地内を覗いてみた そしたらいるいる十人程の子どもたちが遊んでいるみたい
だ
思い切ってフェンスの中に足を踏み入れてみた ゆっくりと公園に向けて歩みだした 仮
設 そんな中の住人の人々 何か特別なものとして視線を向けてはいなかったか 自省
の念も込めて思うのである
「オーあの兄ちゃんが来た」 あの中学生がからかい半分に言った
「オー」 「オー」 「オー」 色んな子どもたちから言われた
何か知らんが歓迎されてる 半分冗談かもしらんが 正直嬉しい
すぐに受け入れてくれた そこがチョット気になった 本当は素直に喜んで良いの
かも知れない
ジャングルジム 鉄棒 シーソー ブランコ 砂場 そしてこの小さな公園も緑のフェ
ンスで囲まれていた それは当たり前なのだけど 自分たちのテリトリーである よそ者
が来て警戒もせず一瞬でとも言っていいくらいの速さでうけいれてくれた そこにびっくり
した
「兄ちゃん どっから来よん」 例の中学生が聞いてきた
「車でニ十分ぐらいのとこかな みんなはいつもここで遊びよん」
「大体な」もう一人の中学生が答えた
「あと、クレパスって表札、かかっとった あれほら あそこにあるやろ」
「あああれか、八畳位のプレハブ小屋みたいな建物か」
「そうそう あそこにも学校から帰ってきたらよく行く」
敷地の隅っこにちょこんと建っていた あと交番 に市役所の出張所があった
集会所のような大き目な行事ができる建物もあった
子どもたちはみんな元気だが 表には見せない心の傷をかかえてる 子も何人か
いる 心の傷を負った子どもたちの内面をいじってどうにかしてあげよう ということはしな
かった 自分のような人間にできることじゃない 彼らは強い もちろん全員ではないが傷
を負っていても 自分の足で立つんだという子もいた 自らが傷を負っているんだというこ
とに気づいていない子もいたが 祈るような気持ちで見守っていた
ということがあって週二回ほど仮設に通うことになった
正月まであと五日ほど クレパスには大学生・高校生のボランティアもニ・三人いて子
どもたちと戯れていた
「自分が別にいる必要ないな」彼ら大学生・高校生のボランティアを入口から覗いて見
て思った 公園に行こう
自分は誰かに許可を貰ってあそこにいたわけじゃない ボランティア登録したり NPO
法人に登録したり普通は他のボランティア連中から疎まれたりするもんだと思うが 子ども
たちのおかげである 中年一歩手前の男を信頼してくれて戯れてくれた ボランティア連中
も警戒感を捨ててくれた ただ一人だけ責任者という奴が生意気だった 責任感でわたしに
偉そうにするならかまわない頭も下げるし一目もおこう ただボランティアの責任者になって
ただ偉そにしたいだけじゃねーか
その日のボランティア活動が終わると ミーティングが始まると聞いていた 子どもたちの話
が始まったと思ったらケラケラ笑いながらの噂話の域をでないものであった お菓子の類やお
茶があったかどうかは忘れたがレクリエーションである全くのボランティアのためのレクリエー
ションである 箱や設備はもったいないくらいのモノを用意してもらってる 幻滅した
別に緊張感漂い笑いもないそんなことまでは欲してない 傷を負ってきた子どもたちが多い
もっと今日の子どもたちについて話し合いが出来たろうに 理解の範疇を超えていた
お茶もお菓子もあっていいチョット考えれば解るだろうにそれこそ子どもじゃないんだから
自分はそんなに活動してないしボランティア事情に詳しくはないだから偉そうにモノを言えた
義理ではない でも庶民間隔でこれはチョット違うだろうぐらいの感覚はある
でもこれはほんの一例に過ぎない きちんとしたボランティア活動をされている方も沢山いる
正直良く解らなかった 地元に仮設住宅があって自分の身をどこに持っていったら どう納
めたらいいのかわからなくなっている子どもたちを目の前にして どうしたらいいか解らない子ども
たちにどう接したら良いかわからないそれなら解る 自分が解らないのは そういう子どもたちを前
にして腹の底からケラケラ笑える性根である 子どもたちのなかにはそういった大人達を見透かし
て弱い子を演じる子もいた 下手をすれば足もとをすくわれる 頭の切れる子は 感覚の鋭い子は
何処にでもいる だからファミレスに連れて行かれてシコタマ奢らされて車で神戸のその子の祖母の
家まで送らされたりするのだ 確信犯の罠におとされる
この子のために言っておくが性根は良い奴である ただこの子は我々を根っこの部分で信
用できていなかった 我々は信用されていなかった 悲しいかなそれが現実である
クレパスから公園までほんの2,3、分ここにも子どもたちの声が響き渡る 小さい公園だが
鉄棒 滑り台 砂場 ブランコ ジャングルジム シーソー 十分である 仮設の敷地内にあるので
外の子は入ってこない 寂しいのだが仕方ない いずれ外の子が遊びに来てくれれば嬉しい
ここにも小さな物語はある
年末の二日前姉が東京から帰ってきた 姉弟だけの兄弟なのでやっぱり嬉しいそおゆう気持
ちだが一切そうゆうそぶりは見せない なんか照れくさい 子どもの頃はケンカの絶えない二人だっ
たけど今となっては なんか頼りにしてるし一年に二度ほどしか会えないのが寂しく思える
〔お帰り」
「ただいま」
「どうよ 仕事の方は」
「うん、忙しいんやけど 中身の方は大した事ないなー」
「あんたこそ仕事の方はどないなんよ塾の先生なんてそんなに続かんと思うけどな」
「まあ 適当にやるわ」
「30過ぎてのんびりし過ぎちゃうか?」
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「おねーこそ 本当に行き遅れるで」
「ほっといてか」
「こっちもほっといてか」
「1時間ほど車で外出てくるわ」
仮設に行きたかった 夜の様子をちょっとだけでも見ておきたかった
コンビニでコーヒー買ってフェンスの中に入って子どもたちの様子も見ておきたかった
仮設のフェンスの入口から入った 時計の針は六時半を回っていた 公園の中から
ニ三人の子どもたちの声がする 何やら楽しそうだ 遠目で見ていると女の子も交えて
三人で相撲をしている もっと近づいて思い切って声をかけてみた
「夜も吹けとんのに何しとるんよ」
「見たら解るやろ 相撲よ」中学生が三人で結構なことである
「暇な兄ちゃんのお出ましやで」
[いつも何時ごろまで此処におるんや」
「何時ごろまでって 時計なんか持って無いからわからへん」
「そうか まあ夜遅くまでもなんや 暫らくしたら帰りや 用心用心 安全第一や」
[帰たって誰もおらへんしつまらんだけや」
「なあ」みんなに確認をとる田辺
田辺ー中学校 2年生は勉強はできないし 運動も音痴だし何やらしても出来ないことだら
けだが何故か人望だけはあった お笑いのセンスは正直ない!
「なんか 奢ってーな えーやろー」杉本ー中学1年生女子「缶コーヒー1っ本でええから」
「全部で3本!」磯崎ー中学校3年生
「しゃーない 奢ったろ!」子どもたちが3人だけだと完全に錯覚してた 年末の夜に騙された
これから、ずっとくるたびに奢るわけじゃないがこの度に危機一髪の目に何回会ったことか
千五百人の人が住んでいるいわば一つの街である 子どもの数もそれなりに多いい アホである
行くたんびに人数がふえてきた じゃけに追い返行かすわけにもいかず 正直困った時もあった
何気ない正月も終ろうとしている
「オネイ どう?疲れは少しでもとれた?」
「うん大丈夫だよ 心配かけたね ごめん おかーさんのこと頼んだよ もう良い加減年も年だし」
sawer1983@icloud.com
「ああ 一応気を付けてみておくようにするよ」
「あんた仮設住宅いってんだって?それも夜暗くなってから行ってるそうじゃないか よくわかんな
いな」
「いいのいいの また話すよ オネイも良い人早く見つけて紹介してよねってんだ ホントはいるん
だろ?」
「あんたもだよ!」
「お互い様だなオネイ」
オネイは二日の昼過ぎの新幹線で東京へ帰って行った
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勤務先の塾は小学生授業が七時半に終わる それから車でニ十分程で仮設へ向かう
仮設の正面の入口から入って 公園のフェンスに車を横付けした もう夜の八時が過ぎていた
公園には5,6人の子どもたちがいて はしゃぐ子どもたちの声が公園から聞こえてきた
夜のせいもあって子どもたちの声が星空に向かって響いている またもや砂場で相撲の
とっく見合いのぶつかり合いだがすこぶる元気がいい 自分は車のボンネットにあぐらをかい
てたった一人の観客になっていた
子どもたちは敏感だ この男がなぜここに来ているのか何が目的なのか瞬時にして解る
とゆうより 匂いでどうも分かるらしい 仕事とか 学歴とか 家柄とかそんなのは関係ない
俺たちをたのしませてくれ 公園のフェンスの中で一緒に戯れてほしい 他には何も要らないから
そう聞こえてきたような気がする 夜の九時にもなろうとしている やはりそれぞれの仮設へ返す
べきだろう そいった役目もいやなもんだが一応自分は大人である しなきゃなるまい
「さあ いやかもしらへんけど 帰ろう!」そう子どもたちには言葉を投げかけた 「邪魔せんとい
くれるか?」 田辺にしてみればキッチンに四畳半だけの住まいが家族三人で暮らしてて心地いい
はずがない 住宅を仮設を用意するがわからすれば あたりまえだが急に一瞬にしてやってきた
未曽有の災害に備える物などあるはずがない と言いたいところだろう だが用意してもらわなくて
は困る 苦しい胸の中は解るが一応経済大国の看板をかかげるのだからやってもらわなければ困る
平日はなるべく空いた時間には仮設のほうへ出向けるよう時間の調節をした 公園だけではなく
クレパスに出向く時間も増やした クレパスでは男子も女子もいたが男子は荒い たまった鬱憤を
ケンカでかたずけようとする というよりケンカしかなかったんだろうな壁には血の跡がいくつものこっ
ていた 田辺がしきる ケンカやらしたらよわいだろうな ケンカをせずに場を納めるそうだ見事で
ある ただ自分は一度もケンカの場面を見たことがない ケンカになりそうな場面に出くわしたことは
あるがならずじまいだった ケンカぐらいなんだそのくらいあった方がいい ストレスも当然あるだろう
学校で嫌なことも多いいだろう というのが若いころの自分の想いだった ただ最近は どうなんだろう
この感覚で良いのだろうか?と変わってきている
自分自身ケンカは中学生のころに1回しかやったことがない それも軽いなぞる様な殴り合いしか
したこtがない
「磯崎 !お前ケンカしたことあるか?」
「ない!あらへんで」
磯崎の弟にも聞いてみた
「兄い あるやないか ここで クレパスで そこの血痕 ついこないだのやつやで 兄いと俺の」
「信矢 何で嘘ついたん」磯崎に聞いてみた
「やっぱやったらあかんことかなと思て つい」
「あるある そおいう噓ゆうてしまうこと」Y学院大学に推薦入学が決まっている小春が言った
ここでいったんこの話は終ってしまうのだ 終ってしまった理由を何故か知りたくなった
難しい 後で噓をつかねばならぬほどしんどいものなのだ
なのにケンカをやってしまう 一体この人という生き物の生態とはどういうものなのであろうか
自分はいっちょ前の人間をきどっているが 一個体の生物として考えたら大した事ないんじゃ
ないかと思ってしまう 本当にこの地球を仕切る資格がこの人間という生き物にあるのか否か大き
な疑問符がついてしまうのであるが それもまた人間という生物の傲慢か
子ども同志のケンカからこのように想起させる我々は一体何者か 陽が昇りそして陽が沈み
その繰り返しのなかで生きている 天寿をまっとしてあの世に行く人は少ないが この世でやれる事
爪の先ほどの小さな仕事で良いが見つけられ天寿をまっとうせずともあの世へいける人はもっと少
ない 生きるとは何か何故に生まれてきたのか ホントに自分に限って言えば単純な愚か者である
「新矢 あまり気にするなよ 大した噓じゃない 俺なんかもっとアホなうそつくさかい」
「みんながいるところで噓ついたのがバレてずかしいわ」
「友達同志のヤバイ噓や 学校 先生についたマズイ噓があったら内緒にす
るからすぐ言って来いよ」
「わかった ありがとう」どこまでも素直な奴である{だいじょうぶかな
田口 クレパス 子どもたちを仕切るNPO法人の社員である 自分はこの男の煮え切らないすぐ守り
に入るところが苦手である よくもまあ俺みたいな異端児を受け入れてくれてるなあと思うところがある
だから嫌いとは書かない 何でも子どもと書くから少しこれでも遠慮してるのだ ここに自由に出入り出来
るのはやはり子どもたちのおかげなのだ また書いてしまったが 事実そうなのだ
人間同士初対面ではまず信用が第一である 自分のようなどっからやってきて何をしにやってきたか
わからん人間が素性のしっかりした人達の間にちょこんと座ってるのがめずらしいのである 許可を得た分
でもなくボランティア組織に登録してたわけでもない 小さな公園で子どもたちと遊んで 子どもたちに誘われ
るがままにクレパスにはいりこんで また遊んでただけである ボランティアの人達からも笑顔で向かい入れ
られた 子どもたち彼ら彼女らはホントにその時は天使に見えた
その時はといったのは後に天使だと言うのはこっちのかってな言い回しであって田辺だけでわないが
仮設に住む人々の狭い住居に住む人々の苦労を考えればある意味こちらの願望を混ぜ込んだ言葉に
普通の人々に違いないが苦労して生計を立てている ある意味達観している部分もあったと言わざるもえな
いだろう
当時の仮設住宅であるが キッチン 風呂 トイレ 四畳半一間 これだけである 爺ちゃんと孫一人
ならばどうにかくらしていけるだろう だがそれでも苦しい生活だったに違いない これが親二人 子ども二人
だった家族にしてみればきっと苦しみを超えるものでもあったろう なんの苦労もなく毎日を送ってる自分たち
やボランティアたちやそこに携わる多くの人々たちとはまるで次元の違う話である
仮設に来るようになって一月が経とうとしていた 相変わらず公園はこども達の憩いの場となり続けていた
田辺 磯崎兄弟 杉本 他にも五・六人夜八時を過ぎても仮設の住宅には帰らず公園で星空と戯れていた
書きようがないほど 他には何もしていなかった 毎日のほとんどこの繰り返しである 何とかしてやりたい
その想いが日に日に強くなっていった
何とかしてやりたい 思えば思うほどに空回りしてくるのだが 中学生の連中なんかは仮設の外に住む友
達を公園に連れてくるようになった それはそれで嬉しいのだが女の子がらみでトラブルになることもあった ポ
ケベルが全盛の頃で女の子をとったとらないでもめたことがあった そおいう時は間に入って解決するのだが難
しく大変だった 中学生といってもガタイはでかく腰が多少引けてるのをバレないようにと虚勢を張るのも大変だ
った
夜の公園は主に中学生が遊んでいる場合が多いいが 時には珍客も時折やってくる ある時である 時は
九時を過ぎていた 公園のゴミ掃除をしていた すると向こうの方から幼稚園生ぐらいの背格好の生物がゆっくり
とこちらにやってくる 顔がない じっくり見ていたら 間違いない こうすけである 顔が見えなかったのは顔面
血だらけだったからである 理由を聞いてみれば兄ちゃんと喧嘩してボロボロにされたらしい本当に血だらけで
顔が全く見えなかった
「こうすけ 家に帰って顔を洗っておいで」
「うん わかった」
「なんか絵本もっとうか?あったら一つでええから持っておいで」
十時近くまで 絵本の読み聞かせをした そしてようやく 彼に笑顔が戻った
「もう帰って寝えや ハイ行こう」
彼の住む仮設へ送っていった
ある時チョットした問題がおこった 近所のおばちゃんが泣いているのか 怒っているかでチョットしたトラブル
になっていた 自分は仮設に遅れてやってきたので事情がさっぱりわからない 事情がわかってもたぶんわからない
―であろう 事情はこうである 仮設の近所に住むおばちゃんが たくさん饅頭をもらった 当然一人では食べきれない
そこで思いついたのが 仮設住宅の人に食べてもらおうということで集会所に饅頭を持ってきた そしたら怒られたか
注意されたかで おばちゃんとしては納得できないとお冠らしい
そりゃそうである饅頭持ってきて仮設の人に 食べてもらおうということのどこが問題なのかさっぱりわからない
いろいろ話を色んな人に聞いてみた そしたら分かった ようは集会所に詰めている人にしてみれば自分の縄張りが
侵されると思ったらしい近所のおばちゃんからしたら何で饅頭を持ってきただけで 叱責されないかんのか解らなかっ
たらしい 中身は違うが似たような話はよく聞いた
おすそ分けは日本人のとても良い所じゃないか 日本だけではないかもしれないが さりげなくて気の利いた優しい
行為である ボランティアに本来縄張りなんかわない機能的に活動するために役割分担が必要だったりする だが詰め
ていた人の気持ちを解ってみよう だけど饅頭持ってきただけで その人に対して変な危機感は持つ必要ない
こうすけもおかあさんがいない と言っても仮設にいないだけで何処かにいるのかも知れないおとうさんはしょっちゅう
どこかの女の人を仮設の部屋に連れ込んでいる 人数がいるだけで家庭というものがない
「おにぃちゃんの家はどこにあるの?」
「20分て解るか?」
「わからへん」
「そうか・・・」
「近い?遠い?」
「ん・・・・こうすけの足じゃ遠いかな」
「いつも何時ごろにねとんや」
「わからへん」
「そうか わからへんもええかもな さあついたで ま無理かもしれへんけどゆっくりねえよ」
「・・・・・・・・・」
ここで手放すのは 何か気が引ける が 仕方ない・・・・・
こういう状況にいるのは辛い 只 仮設の家に帰るにしろ 血だらけになってもここが自分の家なんだという
想いは大体の子らがもっている 人とは何と切ない生き物かと思う
書いたかもしれないが 家庭というものに仕切られている子らは 見ず知らずの人や 初対面の大人に対して
大抵の子らは警戒をする 家庭というある意味縛りのない子らは喜んで初対面の大人の懐に喜びいさんで
とび込んでいく子が多いい もちろんみんながみんなそうではない警戒する子もいる ただ自分の経験上
そうである事が多いいと言っておきたい 大切な行為だと思うからだ
よく使われる表現だがコンビニが昔の駄菓子屋になぞられることが多いい 自分が知っている駄菓子屋
とはかけ離れているからだ 駄菓子屋でなくとも子どもらにとってみれば 唯一 友達同士でくちゃべられる
大切な場所なのだろう 只 店側にとってみれば商売にならない辛い所でもあるのだろう ところが実はなっ
ていたのである仮設住宅が無くなってから 本当に短い時間でつぶれたと聞いた 商売になっていなさそうで
実は違っていたのである
クレパスが閉まって そのあと公園で遊ぶのが当たり前になってきた 問題はあの少年である 公園では
よく会うようになった 彼は私にこう言った
「お母さんな北海道のすんごい田舎の病院におるんやてだからなかなか会えへんのやて」
「お父さんに言われたん?」
「うん」
真偽の程は解らないが自分は息子にどう言って良いかわからないのと お父さんなりの子を思っての噓だと思
った 本当に真偽のほどはわからない
この少年は絶対音感の持ち主である 大抵の曲は一回聞けばエレクトーンで引いてしまえる とんだ才能の持
ち主だ でもその才能を伸ばしてやる才能をこちらが持ち合わせていなかった 本当に申し訳なく思っている
この子には母親がいない 恐らく一日中母親のことで頭がいっぱいである 自分と同じように母親のいない子とは
仲良く遊ぶが 当たり前のように母親のいることは一線を隠す 本当に切なくなってくる その少年がコンビニには
やってきて中学生と混じり合うのかと思ったら やはり案の定素知らぬふりであった どうしてもプライドが許さない
のであろう 優しさを示されても 何かを奢ってもらっても 彼の心は頑なに動かない
自分はてっきり子どもたちが何かを奢ってもらえるから 私にくっついてコンビニにやってくるのだと ばかり思っ
ていたでも暫らく付き合っていると これは一種のコミュニティだと思うようになった
わいわいがやがやとどうしてもなるので 店の店長からすると迷惑この上ないに違いない 10円の売り上げの
為に客に頭を下げる 商売とは実に辛く地味な経済活動である 店にとっては子供たちは立派なお客なのである
中学生達も小学生達も幼稚園児達も種々雑多な立派な経済活動のにないてである
小学校3年生の少年の母親のことである 自分には母親もいるし父親もいたそれが特別なことだと思ったことはな
かったしいることが特別な事でもなかった こうして改めて母親のことを考えることがなかったらまず話の中にでてくること
はなかったであろう 母を訪ねて3000里という物語があるように 母親とは特別な存在なのであろう あろうとしか言え
ない母親の存在が当たり前すぎて少年の心に入っていけない だからある程度距離をとって切なく少年の心を見詰める
しかない
少年とは仮設の公園でよくキャチボールをした 小3でも身体の小さい方だったろう 音楽とは違ってお世辞にも う
まい! とは言えなかったが何処にでもいる野球少年だった
小さい公園だったので遠投のようなことはできなかったが 彼の心に変化が起こった出来事があった まずキャチボー
ルのことであるが私と彼の間の距離は多分6-7メートルぐらいではなかったかと思う 彼にちかずける最短距離だった
これ以上は彼がわたしを近ずけささなかった 考えてみれば「近寄るな!」と私に罵声を浴びせてから良くここまできたもんだ
と思う 彼は自分にできないことを目の前でされると弱い 相手に一歩譲る 私が彼に何をしたかとゆうとキャチボールの
球の速さと足の速さくらいか 本当にそれくらいだったろうか でも大したことはしていない
彼が私に一目置いたのはある日曜日キャッチボールの途中 私がいきなり公園の空の真上に向けておもいっきりボールを
投げた時だった 彼の目が輝いた 恐らく彼が今まで見たことがない高さに私が投げたボールが舞い上がったからに違いな
い「モノごつー高く上がったな!100メートルはあがっとた!」実際は2-30メートルがいいとこか 彼にはそれが100メート
ルに見えた 何でもやってみるもんである
このことをきっかけに彼との距離は急速に縮まっていった学校での出来事や色んなことを話してくれるようになっていった
例えばテストで80点とろうが90点とろうが通信簿は三段階で一番悪いCである 彼はそのことを実に冷静に私に話した「あん
なーこれどない思う?」指でテストの結果を揺らしながら片方の手に通信簿を持ち私に問いかける「ふざけた教師もおるもん
やな」
「やろうー」
「先生にゆーたんか それともいわずか?」
「いわず・・・・言ってもな何がかわるわけでもないもん」
そんなことがあった 年明けある少年の3学期だった
他の子どもたちの3学期はというと磯崎兄弟に恋のひと悶着があった
何があったかというと二人で一人の女の子を好きになった その子が誰に誘われたかは知らないが良く友達と
一緒に仮設の公園に遊びに来てくれるようになった それが本当に嬉しくてよそよそしいが 普段から願っていた自
分にとって感謝の気持ちで一杯だった その中の一人の子を兄弟で好きになった 結果を先に言うと兄貴の勝ちで
ある 公園でもいつも二人でいるようになった
遠くから眺めていても仲睦まじく微笑ましくて嬉しかった 只 面白くないのが弟の方である
ある時 夜八時頃公園のベンチで一人うずくまっている磯崎 弟を発見 ベンチまで歩いて行ったら泣きながら
ノートの表紙から中裏表紙のいたるところに「死」という文字を書きなぐっていた
ゆっくりとちかずき
「おってもええか」と問うと
首を縦にちょこんと 頷いたので隣にゆっくりと座る
「・・・・・・・・・・」
「なんでよりによって 兄貴なんよ」消え入りそうな声でそう呟いた
頭に手のひらを乗せて本当に軽く振ってやった
あとは時の神様に任せるしかない
杉本は寝ても覚めても男の話ばっかりである
「なあ 男は顔とちゃうねんな!基さん!」
「ああそやな」⦅なんかい同じこと聞くねん)聞いといて選ぶのはいつも二枚目ばかりである よく自分がモテる
のを知っている 実際本当に美人であるが それを鼻にかけることがない いじめられてばかりいるこの子は2年は
学校では口を聞いて貰ったことがない 仮設に帰って来たら女子高校生や女子大学生の膝を借りて黙って寝るの
が日課である それで一日の辛さの疲れをとる 仮設住宅から通学している 原因はそれだけではない他の子らは
学校では友達は作らないという子が多いい そっと行ってそっと帰ってくるという感じだろうか 帰ってきてクレパスや
公園でいろんなことをはっさんする子が多いい いじめは巧妙化している辛い仮設住宅から通ってきているから
いじめられるんだ だけでは本質を見逃してしまうことがある 難しい-・・・・
これはいじめの話ではないが ちょっと前の話、クリスマスの頃のことクレパスで絵を描いていたときのこと24色の
クレパス 24色の色鉛筆 12色のカラーマーカーが用意してあった 思い思いにクリスマスに関する絵を描いてい た あ
る小5の男の子のクリスマスツリーの絵が色はふんだんにあるのに描いた絵は真っ黒の絵であった真っ黒のクリスマスツリー
木も星も他の飾りも全部真っ黒 いつも俯いてとぼとぼと学校から帰ってくる子だ
自分でも何かぎこちないけれどなんか自分のぎこちなさに戸惑うだけの日々が続いている どうにかしたいのだけれど
この子にとって何か俯くだけでなく目線がもうちょっと上向く何かがあればよいのだけれど 本人が一番戸惑って何が自分の
中で起こっているのか解っていないのではないかと思う 下手にいじれない専門家のフォローがあればと願った 結論から言
うと専門家のフォローは探したのだけどなかった 今みたいに心療内科・精神科といった病院も本当に極端に少なかった
ボランティアのなかに学校の先生をやっておられた方がいた 私はどうゆう風に子どもたちと接しておられたのかほとんど
しらないのである ある時急にやめると言い出したらしい 理由はこういう子どもたちと接しているのは辛すぎると言い辞めて
いったらしい 分かると言ったなら生意気か 自分も正直言って辞めたら楽やろなと 思ったことがある
子どもたちが可愛いと思えば思うほど辛い気持ちが湧き上がってきた経験があるからだ
飽くまでも自分の経験のみに感じたことなのであるが 家族といった枠組みにきちんと治まっている子は 初めて会った人に
対して必ずと言っていいほど警戒する 逆に家族という枠組みがなかったり家族が崩壊してしまっている 環境にいる一部
の子どもたちは他人に対して警戒心が少ない 仲良くなれるのも時間の問題だ どちらかといえば本当に楽である そこに落と
し穴がある 遊びと称し接しているといつの間にか遊んでやっているつもりが 逆に遊んでもらってしまっていることが時々ある
気を使ってくれているのであるその時は本当に気持ちがいいし 吹く風も爽やかである 私はそれに気づいてから自分が何か
してあげられるときにしか現場にいかなくなった ストイックに思われるかもしれないが 子どもたちはボランティアの癒しのため
の道具ではない 生身の人間である
本当に子どもという存在は 接するには表面上こんなに楽なものはないと思ったりもする 昨今の子どもたちと接するのは
大変らしい何処も大変らしいと教師を知り合いに持つ人から 貰った書簡に書いてあった 自分の情報入力不足だ
簡単に”こんな楽なものはない”と綴られたひにはたまったもんじゃないだろう この情報も27年ほど前のものである今は
どういうふうに変わっているのだろう皆目見当もつかない学級崩壊とゆう単語じたいあまり聞かなくなった
27年も前のことを書いたのは今はどうなのかということに関心があったからだが さてどうなっていることやら 私はあまり変
わってないのではないのかと推察する もし変わっていれば 何らかの「崩壊からの回帰」といった報道もしくはドキュメントがあっ
てもよさそうなものだからである
仮設住宅に住んでいる子らにいわゆる不良と呼ばれるような子は一人もいなかった ケンカになってクレパスの壁にいくらか
血が飛んだことならあるようだが古い言葉で申し訳ないがツッパリは本当にいなかった いわゆるツッパリに魅力がなかったのだ
ろうか?ありきたりの言葉なら綴れるが 掘り起こしてみたら何か特別な何か理由があったような気がしてならなかったので 聞い
てみた
「なあ 磯崎の兄ちゃん なんでツッパリや不良がおらへんのおかしいと思うねんけど」
「何でって言われても・・・」
「田辺はどないおもうん」
「俺は不良嫌い]
「なってみたろうかなと思ったことわないの?」
「何でそんなこと聞くん?」
「またいつか教えたるわ」
「変なの かわとーな 基さん」
「そうやねん かわとーねん」
大抵私の経験上こおいうところでは不良やツッパッタ子が仕切っとることが多いいんだけれど
わからない・・・貧しさ 世間とは少し隔離されてる感じもするし 一人くらいぐれる子が出てきてもしょうがないんだが
何が今の彼らをそうさせているのかわからない けして品行方正ではないし あいさつもできないし 厳しくいえばべんきょうも
する気わないし・・・出来なくてもいいんだけど 立派だと思う 人の道を踏み外すこともなく毎日が苦しみの連続だとおもうがよくやっ
ていると思う
けして誰とは言わない 駐在しているお巡りさんのことを彼はこういった
「ここのマッポウへちょいでのう俺でもケンカしたら楽勝やで」と言っておきながら いざお巡りさんと接しているときは
「本当にこんなところまで きちんと警備してくださってありがとうございます ほんま感謝しております」と深々と頭を下げる
ほんまこいつはこれでいいんでしょうか?要領よく人生渡っていくんだろうなー
ほれ あんたのことだよ 元気でな
ぐれるー辞書で調べて見たー1生活態度がただしい道からそれる やけ気味で生活が堕落する 2見込み外れになる
調べて見たらこんな言葉がでてきた なんか全部当てはまりそうで当てはまらない 皆とは言わないが大抵の子が家族を
想いやっている こんな劣悪な環境でも彼らの気持ちの中で 家族というものを大切にしているのが見えてくる 彼らにとって
最後の堰のように家族が彼らの前に立ちはだかっているような印象を与えているように感じる
一緒にいるのがじいちゃん一人でも 母ちゃん一人でも 父ちゃんがいなくて母ちゃんとねーちゃんと3人暮らしでも
やんちゃな父ちゃんが家族を仕切っていても 彼らの前には消え入りそうな家族がギリギリのところで立ちはだかっているよ
うだ
家族が歯止めになる 或いはなっているようだ はたまたなっているに違いない 私は正直 家族の存在が彼らが道を
踏み外さないよう堰になっている部分があるのでわないかと思っている ただ世間一般では立派に両親がそろっていようと
ぐれる子はぐれる 家庭に恵まれていなくてもまっとうに生きている子はたくさんいる
じゃあ何が彼らの堰となって彼らを支えているのか そんなもんなくてもまっとうにやれているのか
ある子はこうだ母親がいないのだが 夜8時を回っているのに仮設住宅に隣接する街を徘徊して止まない
陽が落ちて暗くなった街の中を小学三年生が歩く 母親の影を慕いて黙々と只ひたすら歩く 声をかけようかとも思ったが
彼を見つけた時点で立ち止まってしまった あとは彼の只背中が小さくなるまで瞳でおうだけだった
正直に言う わからないのだ あれだけの劣悪な環境におかれながら正直一人もぐれる子がいなかった 不良も1人も
いなかった 普通は一人くらいいるだろう でもいなかった
集会所でお菓子作りのイベントを行った時 ロールケーキを作っただけだが 多くの子らが 兄弟の分も下さいと言って
持ち帰っていった 当たり前なのだろうが ホントかよ と思ったことも正直なところである出来過ぎのような気もして にわか
には信じられなかった まっとうな行為を疑ってかかるという失礼な心持だが偉いなあと思った
「仮設なんてみんなバラバラや」といった磯崎弟の暮らしているが上の感覚も確かなものなのだろうが
普通に暮らしている自分たちの暮らしぶりはどうなのだろう?ふと思ってみた 案外あまり近所のことも知らなかったりする
私は只知りたいのだ心根が曲がった男子・女子関わらず1人も出なかったわけを 何が彼らを踏みとどらせたのかを
只 知りたい 彼らの中にあったある意味「純心」と言ってもいい想いを全身をかけて知りたい
小学三年生の彼は私が投げた野球のボールが 100メートルも空に舞い上がったと勘違いをして私に心を開いてくれた
最初初めて会った時 「近寄るな」と罵声を浴びせ私が彼に接近するのを拒んだ子である 白球一つが彼の想いに少し届いたが
これからの方が大変だという気持ちの方が勝っていた 彼にはまだまだ物語があってそう言ったものも大切なのでそれらも大切に
したい只一つ 様々な 彼に向けたアプローチも大切なのであって私のが一番・絶対と言うわけではありません
「ごっついな― 100メートルは上がっとったなあ」
両手は大空に向かって突き上げられている
「あほか!100メートルも上がっとるか そんなんやったら今頃プロになとってお前らとは違う世界で生きとうわ」
「そうかなーもう一回投げて!」
中学一年生の磯崎弟は甘え下手である 兄ちゃんより背は高いし 男前だが不器用である 特に対人関係においては下手糞
である 私の倍はそうである 優しそうに見えて冷たかったりする この物語において好きな子を兄ちゃんに取られて泣いた
当たり前だが振られるのも恋の内である 胸の中へストンと滑り落ちるような恋は大人になってもなかなかできない なんか恋の話を
すると笑われそうで この辺にしとこう
「・・・・・・」
無言で立つ私の横でベンチに無言で座る磯崎弟
「なんでよ 何でよりによって兄ちゃんなんよ」
「横に座ってもええか?」
「・・・・・」
小さく頷いた
「お互い 女の人には苦労するなー次いこう! 次!」
中学2年生の磯崎兄はお調子者である だが人心掌握はわりとスムーズに行える 上手である 勉強はあまりできるほうではない
が異性の気持ちを捕まえるのが上手い 私でも彼には遠く及ばない 恋は年齢とは関係ないのだと教えてくれているようだ 30過ぎた自
分にはありがたい話である 私は彼を云々言えない 本当に不器用なのだ異性に対してどう語りかけたら良いかまずわからない 入口か
らこうだから 堅苦しい話に終始して 「もうええわ」で終わりである ことが多い スポーツも万能で おもろいし言うことなしである兄弟
対決をい1ラウンド1分TKOの圧倒的勝利で勝負をきめた
「おれのもんや」とは言わない
「大したもんやな」
「そんなんきにしてないよ」
「俺にもその秘訣を教えてくれ」
「秘訣なんてそんなもんないよ」
「そんなもんかな 奥手の俺にはようわかれへんよ」
中学一年の田辺は面白い 世渡り上手がそれに拍車をかけるからなおさらだ 多分それで食っていけるだろう お笑いの世界ということではなし
に世渡り上手の責任を背負ってのことである 影ではお巡りさんの悪口をさんざん言っといていざ目の前にするとほめちぎる・・・・・あほか
と いじってやりたかったが 近くにお母さんがいたので言えずじまいだ私の車にハンドルロックをかけて夜9時を過ぎようとしている中そのま
まとんずらをかましたこともある 私がこういった機械が苦手だと知っていての犯行 断じて許すわけにわけにはいかん
あまり深刻な顔を見せたことがないので 今まで心配したことがないそれでも何かあったらいけないと観察はつづけてはいた しかし
何にもなかった こおゆうのも珍しい でもこの年で何もないというのも逆に心配してしまう
「基としては聞きたい 今までに好きな娘とかおらへんかったん」
「おらん」
「ホンマにおらへんかったん?」
「おらん」
「ホンマにおらへんかったんやな」
「恥かしいやろう だから おらん」
「わかった おらん理由がわかった 無理にゆうことない」
時々こおいう子がおる それでかまへん
中学一年の女子杉本は頭の中は先にも書いたように 男のことで一杯である 何を綴ろうか 彼女は確かに美形であるがずっといじめられている
悪いのはやはりイジメるほうである美人で素直な所がかんにさわるのだろう といって済ますつもりはない
ボランティアの女子高生や女子大生に癒してもらうしかその時は手立てはないようだった
ボランティアや私のような人々が受け皿になってあげるしかなかったかもしれない ギリギリの所まで親も立ち向かった それ以上どうしてやればいいのか
私にも解らなかった でもあきらめないひとりにはさせないという気持ちでいた 仮設に帰ってくればいろいろな体制で見守る 正直できることとできないこ
とがあったがあきらめないという気持ちでいた
「おわったの!」
「何が」
「んーもーわかるやろ」
「彼氏とけ」
「どないしてくれるんよ」
「俺は何にもかんけいない」
「もーほんとに 少しは責任かんじろ」
「俺に何の責任があんねんあほか」
杉本 悪かったな
大体多かれ少なかれ多くの人に兄弟姉妹いる( 一人っ子の方もいる)家族というのはホントに難しいし楽しくもあるような気がした
只 生まれてその後すぐに家族をなくし何がなんだか何をもって家族というんだか知らない方もいる
家族に囲まれ生きてきたが途中で亡くしてしまった方もいるだろう
そんざいしていることを前提に話を進めるのも どういったもんだろうと思う いろいろな環境で年月を重ねてきた方も多くいるはずだ
そんな人々に対する配慮を自分自身忘れてはいけないと思った
自分自身外からみたら普通の恵まれた家族であったろう 実際恵まれた家族であったに違いない だからここで家族に対する不満を
いったならブーイングが起こるに違いない 親には”ありがとうございました”と頭を垂れるしかないだろう 恵まれていた そう思えなかった
自分をなじるしかないだろう 只一つだからと言って子どもたちと関わろうとしたわけでは決してない それだけは言っておきたい
小学三年生の彼はあれ以来 色んなことを話してくれるようになった おじいちゃんのこと お父さんのこと 学校のことその他いろいろ
自分が苦しんでいることは少ししか話してはくれない これからの私に対する信頼にかかっている 彼の話を聞いていると胸が痛くなってくる
神様もこんな小さい子に沢山の試練をあたえなくてもと思うのだが 厳しい現実は本当に厳しい でもこれらのことを乗り越えられたらきっと
巡り合わせの良いことに出逢っていけますようにと 祈るしかない
10人ちょっとの子どもたちと接して来たわけだが 分らないことが殆どの子に共通している 小学三年生の彼でも話してくれるようになっ
たほうだが 学校のことについてまずみんな話してくれない だから学校のことについて私は殆ど何もしらない 杉本がイジメに遭ったぐらいだ
ろうか知っているのは 自分の至らなさに無性に腹が立つ
話したくないのか 話せないのか どちらなのかそれさえもあやふやだ 仮設住宅では様々なことを話してくれるのに良いことも悪いことも
学校の話はまずでてこない 私が根っこの所で信頼されていないのかとも考えた だったら今まで話してくれたことは何なんだ 噓でも作り話でも
何でもない胸の中にあった やるせない切ない想いを正直に話してくれたモノに決まってるじゃないか
こっちが信頼してやれなくてどうする 自分から絆を断ち切ってどうするつもりなんだ いきずまった時に彼らに少しでも近づけたらと思う 今
まで彼らに助けて来られたじゃないか
「お袋 早いな 明日から もう3月や塾も忙しい季節に入ったけどどうにかやっとうから」
「基 ホンマに大丈夫なんかいなんか他のことで忙しい見たいやけど」
「大丈夫 大丈夫 心配せんといてや」
「もう ええ年なんやから自分で考えてや」
「はいはい わかりました おおきに ホナ 行ってきまーす」
8時に塾が終わって 速攻で仮設住宅へ向かった
1週間前NPO法人の田口と居酒屋へ行った
「基さんは信用できそうなのでクレパスの合鍵預かって貰います」
「あ そう」
「あと ボランティア保険にもいれときましたから」
「あ そう」
この程度の会話しかしてない
合鍵はその場で返した 無くてもいい ただそれだけの理由だった
後は飲み過ぎることはなくすんなりと家に帰って来てしまった つまらない酒だった
ボランティア元年とよバレたこの年 変なこの年 ボランティアが急に増えたこの年 何が変わったかといえば
何も変わってないとしか言えないこのことは日本のボランティア組織のことを言っているのではない あくまでも自分がかかわって
いた組織のことについてである 他の組織については何も知らないだから言えない ハッキリ言ってやるきがないのか できないのか
それがまづわからなかった
3月に入り何故か私は嬉しかった 今まで仮設の公園でばかり遊んでいたのが何人かの子らが 仮設の外へ遊びに行くように
なったのだ夜になったら公園に来るのだが正直嬉しかった 帰ってくるまで公園のゴミ拾いを 時々するようになった 私から事情を聞いた
高校生のボランティアが言った「寂しいですね 寂しくゴミ拾いじゃ」その子には別に何も言わなかったが
仮設の公園から仮設住宅を飛び出して 外で友達を作り外で遊ぶようになったのだ こんなにめでたいことがあるか 一歩前進である